「終わりのむこうへ : 廃墟の美術史」展(渋谷区立松濤美術館)

 まあ一種の悪趣味であることは自覚していますし、展覧会の解説を読む限り、廃墟の観光地化は18世紀頃には既にあったようです。

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終わりのむこうへ : 廃墟の美術史|松濤美術館

 展示フロアは、海外の作品と日本人作家の2つに分かれているのですが、時系列的にも、近世で既に、遺跡が「奇景」としてツアーが組まれたり、面白画題として扱われたりしていたようです。

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 ただし、廃墟は石造りのような堅牢な建築物でなければ朽ち果てても残骸が残らないので、建築史と美術史の両面の視点においても、木材建築が主流であった日本に廃墟の概念が生まれたのは、近代建築と西欧美術が輸入された近代以降というのも、まあそうですよね、ということになります。そのあたりのお話が、担当学芸員さんのお話としてWebに掲載されています。

渋谷にて、栄えて消えゆく無常の美学に浸る 「終わりのむこうへ : 廃墟の美術史」展|好書好日

 スクラップ&ビルドを絶え間なく進めてきた日本の、大きな廃墟体験というと、太平洋戦争の空襲による焼け野原と、バブル景気の頃の大規模な、破壊的再開発(と景気崩壊による跡地の放置)あたりに収斂されるのかなと思います。

 元田久治氏の、廃墟化した渋谷スクランブル交差点の作品等は、今、目に見えている繁栄は虚構ではないか、という問いかけに感じます。アースダイバー風に言うと、立ち並ぶ高層建築や騒がしい人の往来の、その足元を1枚引き剥がせば、焼け野原や闇市の記憶が現れてくると。

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 美術館と渋谷駅の道すがらに見かける、ドンキホーテの主導による広範囲の再開発現場。道玄坂と文化村通りに挟まれた、裏側の大半が総入れ替え状態になるようです。

(仮称)渋谷区道玄坂二丁目開発計画」について|株式会社ドンキホーテホールディングスのプレスリリース

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 空中雀荘(当ビル3F、の当ビルには行けない模様)

gurinekosan.hatenablog.com